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大正3年、守田照夫・宮原太徳・多賀稽一氏等によって人格見識の高いと認められる業友を以って結成し、会長:守田照夫・副会長:多賀稽一を選出。新会員は会員の推薦を受け全員の承認を要した。常に紋付羽織・袴を着用しその多くは美髪を蓄えていて、鍼医としての権威を保つ事を第一義としていた。 |
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日本鍼灸師会(大日本鍼灸医会)は明治35年結成して日本鍼灸雑誌を発行し、会員の学術の進歩向上をはかり、鍼灸医師法運動を強力に推進していた団体の有力な支援団体として貴衆両院に提出するための署名捺印した請願書が会長宅に山と積まれ、岡山市で鍼灸医師法達成大演説会が開催された。 |
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岡山県衛生課と交渉を重ねて本会員に限り鍼灸科医院の看板を掲げる事が承認され名刺には鍼灸医と印刷されていた(昭和12年まで)。 |
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昭和15年、2600年奉祝大日本鍼灸医会全国大会が聖地槽原で開催、多賀・羽根岡・宮原・杉原が出席、特に鍼灸医師法運動を強力に推進する事が議決された。日本鍼灸雑誌の大会記を杉原が担当させられた。 |
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昭和16年、大日本鍼灸師会連盟結式に杉原が出席、日本鍼灸雑誌の結成式の記事を杉原が担当させられた。熱気溢れる会であった。 |
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総会は1泊2日の学会とを兼ね学頭とその地区の会員によって運営され、共に語り共に寝る楽しいものである。主な講師を列拳すると、杜団法人日本鍼灸師会初代会長・第2回治療学会学頭・岡山県出身の桶口鐵之助氏・岐阜大学教授で鍼灸医学研究の最高権威:杉原徳行医学博士・古典研究家:山本常夫氏・身体均整法の権威:武田憲二医学博士・日本赤羽法西日本教育部長:高倉寅之助氏・明治鍼灸専門学校校長:岡山県出身の近藤久美氏・低周波を電気鍼治療器に導入、ダイオード、チエンプレートの開発者:旭物療研究所所長直本茂司氏・岡山医大麻酔科:倉林譲博士・第26回総会には第5回国際学会で胃潰瘍の鍼灸治療を発表した愛媛大学医学部の重松征義氏を迎えている。 |
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昭和52年4月、組織再編成に協力するために発展的解散を決議し、社団法人設立に邁進する事となった。 |
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会長歴任者:守田照夫・杉原雅師(正晟) |